福澤諭吉引退!新たに表れた”渋沢栄一”はじめ、津田梅子、北里柴三郎とは・・・

2024年に紙幣のデザインが一新されることになりました!

1万円札が渋沢栄一、5千円札が津田梅子、千円札が北里柴三郎となり、日本資本主義の父 、女子教育、医学研究を切り開いた人物が選ばれた・・・

いや、

渋沢栄一

ってどちらさまですか!?

と思う方は多いと思います。

もちろん僕も知りませんでした。

麻生財務相も日本資本主義の父とおっしゃられていましたが、果たしてどんな人物なのか・・・

詳しくは渋沢栄一Wikipedia参照

なるべく要約すると、

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江戸時代 尊王攘夷派志士から、徳川慶喜の家臣・幕臣へ

その際にパリの万国博覧会等も視察。

大政奉還後は株式会社制度などを実践するため、商法会所を設立。

が、大隈重信スカウトされ大蔵省へ。

しかし意見が合わずに辞めることとなり、その後第一国立銀行の頭取へ。

その頃、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、田園都市(現東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビールなど、500以上の設立に携わったとされています。

ものすごくわかりやすいすごさを言うと、

この時代他の実業家たちは「財閥」をつくらなかったこと。

※財閥(ざいばつ)とは、一族の独占的出資による資本を中心に結合した経営形態。

「私利を追わず公益を図る」

との考えを、生涯に亘って貫き通し、後継者にもそれを伝えたそうです。

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簡単に言うとこんな方ですね。

本人が生きていたら1万円札に採用されたことをどう思うのか・・・

あまりよくは思わなさそうですね。

次に、津田梅子

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経歴がいきなりすごいですが、

岩倉使節団に随行して6歳で渡米。

17歳ごろに帰国したが逆に日本語がうまく話せなかったそう。

しかしそれを生かして華族女学校で英語教師を務める。

23歳ごろ再度渡米。3年後に帰国し、また先生へ。

8年後の1900年「女子英学塾(現在の津田塾大学)」を設立。

それまでの行儀作法の延長の女子教育と違い、進歩的で自由なレベルの高い授業が評判となったそうだが、厳しすぎて脱落者も続出したそうです。

その後も大学の経営に努め、64歳で亡くなったそうです。

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最後に、北里柴三郎


日本の医学者・細菌学者。

16歳ごろ熊本医学校へ進学し、

22歳で東京医学校(現・東京大学医学部)へ進学

教授と仲が悪く何度も留年したが、1883年(30歳)には医学士となります。

その後留学し血清療法を開発。世界の医学界を驚嘆させた。

1892年(39歳)に帰国。

教授とケンアして研究ができなかったところを、

福澤諭吉の援助により私立伝染病研究所を設立。

1894年にはペストが蔓延っていた香港へ渡り、

ペスト菌を発見。

その後政府とケンカし、私立北里研究所を設立。

福澤諭吉が亡くなった後、福澤諭吉による長年の多大なる恩義に報いるため、慶應義塾大学医学部を創設し、初代医学部長、付属病院長を生涯無給で務めた。

また、明治以降多くの医師会が設立されたがそれをまとめて大日本医師会(のちの日本医師会)を作り、初代会長として運営にあたった。

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信念を持った人は意見が衝突することも多いみたいですね。

しかし、ここまで福澤諭吉にかかわっているなら1万円になりたかったところですね。

以上、新紙幣の人物について簡単な説明をしました。

詳しくはWikiへ!

ちなみに裏面も一新されます。
1万円札は東京駅の丸の内駅舎、

5千円札は藤の花、

千円札は富嶽(ふがく)三十六景の「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」が採用されるそうです。

以下はその画像。

硬貨は素材が変わるそうで、見た目も若干変わるようです。

外国の方への配慮か、紙幣のフォントがシンプルなゴシック体に。

前にのものに比べるとちょっとカッコ悪いかも・・・しれませんね。

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